「誰もが働けて、誰もが楽しめる場づくり」を掲げた”ユニバーサルレストラン”を展開する ル・クロ オーナーシェフの黒岩 功さん

フランスで修行した後、ル・クログループの原点となるフレンチレストラン「ル・クロ」を西心斎橋にオープン。現在はレストラン5店舗(関西4店舗/パリ1店舗)、福祉事業所6ヶ所(大阪3ヶ所/京都1ヶ所/貝塚2ヶ所)を経営。さらに、農業やグランピング施設の運営まで手がける黒岩 功(くろいわ いさお)さん。

「誰もが働けて、誰もが楽しめる場づくり」を掲げた“ユニバーサルレストラン”という独自のスタイルを展開し、障がいのあるスタッフが多数活躍しています。

飲食業の枠を超え、人の可能性を引き出し続ける黒岩さんに、“ユニバーサルレストラン”誕生のきっかけや、これまでの歩みとこれから描くビジョンについて伺いました。

目次

現在の活動について改めて教えてください

2000年に大阪・西心斎橋で「ル・クロ」第1号店をオープンしました。このお店は、本場仕込みのフレンチを“お箸で楽しめる”隠れ家風レストランとして、多くのお客様に親しまれてきました。

その後、2002年には天満橋に大型店「ル・クロ・ド・マリアージュ」を、さらに2014年にはフランス・パリに「Le Clos Y」をオープン。パリ店はミシュランガイドにも掲載され、現地でも高い評価をいただいています。

当時の大阪西心斎橋の1号店「ル・クロ」
ル・クロ・ド・マリアージュ(天満橋)
Le Clos Y(フランス パリ)

そして、2022年には、大阪・貝塚で、グランピング、農業、温泉、福祉を組み合わせた複合施設「かいづか いぶきヴィレッジ」をオープンしました。この施設は、地域や社会と一体となってつくるSDGsリゾートです。

そんな「ル・クロ」は、現在、レストラン5店舗(関西4店舗/パリ1店舗)、福祉事業所6ヶ所(大阪3ヶ所/京都1ヶ所/貝塚2ヶ所)を経営。私たちの大きな特徴は、障がいのある方や多様な背景を持つ人たちが共に働く“ユニバーサルレストラン”であることです。

また、スタッフの約8割は、障がいのあるメンバー(私たちは“キャスト”と呼んでいます)で構成され、誰もが役割を持ち、輝ける環境を目指しています。

このように、飲食、福祉、農業、観光といった複数の業種を越えて事業を展開していますが、すべての活動の軸にあるのは「人の可能性を信じる」という思いです。

ユニバーサルレストランとは?

「ユニバーサルレストラン」とは、僕が作った造語なんですけど、“誰でも働けて、誰でも楽しめるレストラン”という意味です。

この「ユニバーサル」という言葉には、「障がいの有無、年齢、性別、国籍、家庭環境など、どんな背景を持つ人でも共に働き、サービスを受けられる場所にしたい」という想いが込められています。

障がいがある方、シングルマザーの方、元引きこもりだったり、いろんなバックグラウンドの人たちがここで働いています。

また、お客さんも様々で、車椅子の方もいれば、聴覚障がいの方もいる。どんな方が来られても、しっかりとおもてなしをして、楽しんでいただけるような場にできればと考えています。

もともと飲食業界は「見て覚えろ」が当たり前で、「多様性を受け入れる」という概念が全くなく、「アンチ・ユニバーサル」なんです。

シェフの指示にきちんと対応できる、タイムスケジュールをきっちり組める、そういう“できる人”が残り、”できない人”は去っていく。そういう世界だったんですよ。

ただ、今ではうちの店舗のスタッフの8割が障がいのあるメンバーです。でもね、これは“支援”じゃない。うちはちゃんとプロとして働いてもらってる。誰もが主役になれる舞台だと思っています。

障がいがあっても、生きづらさを抱えていても、ここに来れば、自分でも気づいていなかった可能性が見つかる。そしていつか、自分以外の誰かを勇気づける存在にもなれる。そんな「ユニバーサルレストラン」という場を作っています。

障がい者の雇用を始めたきっかけ

大きく3つありまして、1つ目のきっかけは、たまたまとある福祉事業所から「お菓子作りを教えてくれませんか?」という依頼を受けたことでした。それまでは福祉に関わるつもりも、障がいのある方と働くつもりもなかったのですが、現場で真面目に一生懸命働く彼らの姿に触れたことで、「何か自分にできることはないか」と思うようになりました。

僕自身、子どもの頃は体が弱く、運動も勉強もできず、コミュニケーションも苦手で、常にコンプレックスを抱えていました。今の時代だったら、もしかすると「発達障がい」や「知的障がい」と診断されていたかもしれないと感じていて、だからこそ、障がいのある方に対して「他人事」とは思えなかったのです。

そして、自分の持っている料理やお菓子作りのスキルを使って何かできないかなと思って、一緒に商品開発に取り組んだところ、徐々に売れるようになり、やがて百貨店のバレンタイン催事にも出展。キャストと呼ばれる障がいのあるメンバーたちが、ゴディバやピエール・マルコリーニの横と並んでブースを出せるようになったんです。

キャストのメンバーたちは「こんな場所で自分たちが売れるなんて」とすごく喜んでくれて、その姿を見た時に「彼らが生き生きと働いてる姿自体が、もう商品だな」と思ったんです。働くって、こういうことなんだって。作業場じゃなくて、街のど真ん中の、ちゃんとしたお店で、普通にサービス業の一員として働いてもらいたいと思ったんですよ。

2つ目は、飲食業って本当に不安定な業界で。周りの飲食店がバタバタと潰れていくのを見て、その時にいろんな経営者の方の考え方に触れたんです。本田宗一郎さんとか、稲盛和夫さんとか。やっぱりあの人たちは“世の中の役に立つ会社”を作ってるんですよ。その姿勢に大きな影響を受けました。

そしてある時、「フレンチレストランが明日なくなって、どれだけの人が困る?」と自問したとき、正直、誰も困らないと思った。そこで、僕の会社も何か社会課題の解決につながる存在にならなければならないと考えるようになりました。福祉で商品開発がうまくいった経験から、「これならうちでもできる」と確信し、福祉事業所の立ち上げと雇用につながりました。

3つ目は、飲食業界が抱える人材育成や人材不足の課題です。この業界では「見て覚えろ」「怒鳴られて覚える」という世界で、人が育ちにくく、続きにくいという問題があります。そんな中、福祉の現場に触れ、「ここには教育や人材育成のヒントがある」と気づいたんです。福祉では個々に合わせた“支援”が基本であり、それはまさに“究極のコーチング”だと思いました。

僕たちは今、「この子にどうやったら伝わるか」「どうしたらゴールに一緒に向かっていけるか」を考えて動いてます。それが、今の時代に必要な教育なんじゃないかと思ったんです。

取り組みの中で体験した苦労

障がいのある方を雇用し始めた当初、スタッフの間では反発もありました。「料理を学びたくて入ったのに、なぜ障がい者と一緒に働かないといけないのか」という声も多く、半分くらいのスタッフが辞めていきました。

しかし、その中でも僕の思いや取り組みに共感した料理人たちが残ってくれて、今ではむしろ「ここで働きたい」と言って来てくれる職人たちも増えてきました。

実際、この業界は言葉がきつい、雰囲気が悪いという環境が多く、それに疲れた人たちが「もっとやさしい職場で働きたい」と、僕たちの店を選んでくれています。

また、自分の子どもに障がいがある方や、支援に関心を持つ方なども、うちで働きたいと来てくれるようになりました。今では、「ユニバーサルな職場」に否定的なメンバーは一人もいません。

僕たちの職場には、現在70名ほどのメンバーがいて、そのうち35名が障がいのあるキャストですが、彼らが日々成長し、生き生きと働く姿は、何よりも目に見える価値であり、スタッフみんながその変化を喜び合っています。

「最近あの子、すごく成長したよね」そんな声が自然にあがることが、やりがいになっています。

障がいのある人たちは、本当はやりたい仕事があっても、チャレンジする機会すら与えられていないことが多いんです。

とくにサービス業は「健常者のもの」とされ、車椅子の人や、手や足に障がいがある人、視覚や聴覚に障がいがある人が、カフェやレストランで働いている姿を見ることは、ほとんどありません。

つまり、社会の中で障がいのある人と自然に触れ合う機会が極端に少ない。だからこそ、僕は彼らが「当たり前に接客をする姿」を見せることが、社会にとって大きな意味があると信じています。

幼少期の経験が料理人を目指すきっかけに

僕は子どものころ、体がとても弱く、小児喘息を患っていました。3歳くらいまでは吸入器が手放せず、幼稚園にもなかなか通えなかったんです。

義務教育が始まる小学校に上がっても、幼稚園での経験がなかったせいか、同級生とうまくコミュニケーションが取れず、なじめずに引きこもりがちになっていきました。

勉強もどんどん遅れていき、小学2年生のときには、学校から「落第するか、仲良し学級(特別支援学級)に移るかを選んでください」とまで言われるようになっていました。

運動もできない、勉強もできない、友達とも話せない──そんな自分を、僕はずっと好きになれなかった。「人を喜ばせたい」という気持ちはあったけれど、それができない自分にずっとコンプレックスを抱えていたんです。

そんな僕が、初めて人に喜んでもらえたのは、小学4年生の家庭科の授業でした。参観日の日、先生が「誰かキャベツを切ってくれる人?」と声をかけたとき、僕は自然と手を挙げていました。

引きこもりがちだった幼少期、家で過ごす時間が多かった分、料理をする機会も多く、包丁を握るのは僕にとって特別なことではなかったんです。

キャベツの葉を一枚一枚はがして、くるくると巻き、慣れた手つきでスッと切っていくと、クラスの子たちが「クロちゃん、すごい!」と声を上げてくれました。

教室の端で心配そうに見守っていた母も、いつの間にか前の方へ出てきて、誇らしそうな顔で僕を見て、喜んでくれてたんですよね。

その光景を見たときに、人を喜ばせることができる、母親を笑顔にできる、「こういう仕事、いいな」と思ったんです。あの瞬間が人生最大のブレイクスルーであり、料理人を目指すきっかけになりました。

本場ヨーロッパで学んだ「家族愛」

料理の道に進み、専門学校の時に、フランス料理をやってみたいと思うようになったんです。卒業後「本場で学びたい」とフランス修業を目指しました。

でも、当時はビザの取得が難しくて、まずはワーキングホリデー制度が使えるスイスへ行くことにしたんです。

最初はスイスのチューリッヒにあるレストランで働き始めたんですが、言葉が通じず、孤独で、引きこもりがちになることもありました。

そんな僕を救ってくれたのが、フーバーというシェフでした。

言葉が通じない僕にも、何度も声をかけてくれて、プライベートの時間を削って飲みに連れて行ってくれたり、ちょっとした旅行に誘ってくれたり、英語の勉強ができるようにサポートしてくれたり。「絶対に孤独にさせない」っていう姿勢を、ずっと貫いてくれてたんです。

「なんでそこまでスタッフにしてあげられるんですか?」ってあるとき聞いたんです。そしたら彼は、「みんな自分の家族だと思って接してる。子どもだったら、兄弟だったら、どうするかを常に考えてる」と言ったんです。

レストランには20カ国以上のスタッフがいて、宗教も文化もバラバラでした。「お祈りの時間が必要」というスタッフには、忙しい営業中の時間にも関わらず「5分だけ時間をあげよう」と言って、みんなに理解を求める。食事制限のあるスタッフには、わざわざその人のために特別な料理を作ったりもしていました。

どこの国の人でも、どんなバックグラウンドの人でも、みんなが彼のことを心から尊敬していて、送別会のときには口を揃えて「またあなたの下で働きたい」と言って去っていく。僕も1年後、同じ言葉を言ってました。

そんなフーバーの姿から「リーダー像」を学びました。今、うちのスタッフに何か問題が起きたとき、「会社とは関係ない」じゃなくて、「自分の家族やったらどうするか?」と考えるようにしています。

例えば、スタッフの子どもが引きこもっていて、家から出られないから仕事に来られない事があった時は、「じゃあ一緒に職場に来たら」とか、「ごはんだけでも一緒に食べて帰ったら?」と、そういう関わり方がうちの“普通”なんです。

そういう姿勢が、今やっている「ユニバーサルレストラン」や「支援型の人材育成」にも、全部つながってると思います。フーバーから学んだ「家族として接する」というスタンスが、僕の“経営の根っこ”になっているんですよね。

今後の目標や、目指す未来について

僕たちはもともと飲食サービス業からスタートしましたが、今ではグランピング施設の運営なども手がけ、事業の幅が広がっています。

ただ、コロナ禍で2店舗を閉じるなど、苦しい経験もしました。だからこそ今は、「新しいことをどんどん始めたい」というよりも、すでに形になってきた“ユニバーサルなグループ”を、もっと社会に認知され、支持される存在に育てていきたい。それが今の大きな目標です。

ユニバーサルのうちのグループが関西で展開しているので、まずは、関西から、「あそこに行けばダイバーシティの本質が学べる」「ユニバーサルってこういうことなんだ」と感じてもらえるような場として、また、おいしいフレンチと心地よいサービス、そして“気づき”がある場所と知ってもらいちです。そして、そんなユニバーサルレストランを、日本中で当たり前の存在にしていきたいと考えています。

障がいを持つお子さんを育てる親御さんたちから「自分の子は働けないけど、こういう場所ができたことが嬉しい」「社会の壁に立ち向かおうとする人たちが出てきたことに希望を感じる」という声をいただくことも多くあります。

また、全国には「同じようなお店をつくりたい」「自分の町にもユニバーサルな場所をつくりたい」という声があり、現在も5カ所でプロデュースやコンサルティングを行っています。

これからも、僕たちの理念に共感してくれる仲間と一緒に、全国にその輪を広げていきたいと思っています。

■黒岩 功(くろいわ いさお)さん 
フレンチレストラン ル・クログループ 代表取締役 / オーナーシェフ

1967年、鹿児島県出身。19歳の時に辻󠄀調理師専門学校を卒業し、調理師免許を取得。21歳で全国司厨士協会のスイス調理師派遣のメンバーとしてスイスに渡る。その後、フランスに移り、二つ星の『ジラール・ベッソン』、三つ星の『タイユヴァン』、『ラ・コート・サンジャック』で修業を積む。帰国後は大阪や京都の有名料理店でスー・シェフや料理長を務めた後、2000年に独立。フレンチレストラン『ル・クロ』をはじめ、大阪市内に3店舗を展開し、2012年にはパリにも出店。2022年には大阪府貝塚に「かいづか いぶきヴィレッジ」をオープン。レストラン事業のみならず、福祉事業、グランピング施設など幅広く展開。

▼ル・クロ・ド・マリアージュ(天満橋)
公式サイト:https://www.lecm.jp/
Instagram:https://www.instagram.com/le_clos_de_mariage/

▼ル・クログループ
https://fooding.co.jp/

▼福祉事業所一覧
https://fooding.co.jp/service-universal/

▼かいづか いぶきヴィレッジ
https://ibuki-village.jp/

※掲載されている情報は、掲載時点のものです。時間の経過により実際の情報と異なることがありますので、最新の情報は掲載店・施設様へ直接ご確認をお願いいたします。

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この記事を書いた人

TSUNAGuuu(つなぐー)編集部です。この街の魅力をざっくばらんに発信していきます。

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